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【スタッフのつぶやき】ベルリンの壁崩壊

こんにちは。
天王寺教室の鏡畑です。

今から31年前の今日1989年11月9日はベルリンの壁が崩壊した日です。
第二次世界大戦後、ドイツは旧東ドイツと西ドイツに分断され、首都ベルリンも、東ベルリンと西ベルリンに分断されました。
東西ドイツに分断された当初は、まだベルリンの壁は建設されていませんでした。ところが東ベルリンから西ベルリンへの人口流出が止まらず、ついに1961年、東ドイツが西側への人々の移動を封じるために突如壁の建設を始め、国境を封鎖しました。これがベルリンの壁の始まりです。
なぜ東から西へ人口が流出したのかは、思想・政治的な問題になるのであまり詳しくは話しませんが、簡単に言うと、西側のほうが多くの人にとっていい暮らしができたからです。
1989年、旧ソ連の衛星国であったワルシャワ条約機構加盟国で、次々に共産主義体制が崩壊していく(いわゆる東欧革命)と、ドイツでも再統一への道が一気に開き始めます。
革命には消極的な東ドイツのトップ、ホーネッカーが失脚し東ドイツも民主化に向けての道を進み始めます。そんな中、11/9に事件が起こります。夕方に行われた政府記者会見において、政府が「ベルリンの壁を含めて国境のどこからでも、直ちに出国が認められる(要約)」と発言したのです。これを聞いた東ベルリン市民たちが、国境検問所に続々と集まり、国境警備隊とにらみ合いとなりました(この時点ではまだ国境は封鎖されたままでした)。このままでは流血の事態となりかねないと現地で判断され、国境が解放されたのです。
ベルリンの壁は東ドイツ市民を西へ流出させないための壁でしたので、国境の開放そのものが壁崩壊を意味(壁の存在が無意味となる)するのですが、どこからともなく市民が鶴はしや重機をもって壁に集まり、物理的な壁の破壊を始めました。壁を破壊している映像はテレビでも放映され、みなさんも一度は見たことがあるかと思います(昔、カップヌードルのCMでも流れていました)
再び思想・政治的な話題になるので、あくまで個人的な見解ですが、さまざまことが制限されていた象徴の壁に対して怒りや喜びがあふれた行動だったのでしょうね。

今年はドイツ再統一からちょうど30年。
コロナ禍で、海外にはしばらくいけませんが、ベルリンに行く機会がありましたら、ぜひ歴史の遺産にも触れてみてください。

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